【第二章】日本庭園に見る、「光」と「陰」 ―作庭家・庭園研究家 重森千靑

  • Uniquely Japanese
  • The Light and Shadow
2021年5月12日
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日本庭園と聞いて、多くの人が水を用いず石と砂だけで山や海を表現し、世界を作り上げる「枯山水」を思い浮かべるかもしれません。枯山水は日本庭園の代表的な形式の一つで、室町時代(1336-1573)後期から始まったと考えられています。基本的に白とグレーで構成された枯山水において、非常に重要な役割を担うのが、「光」と「影」です。光り輝く石や砂と、その隣にある影の作り出す黒との対比が美を生み出します。

その一つの例が、白い砂に模様の書かれた「砂紋」。砂紋は枯山水で、白砂の上に直線や曲線、渦巻きなどを描き、波を表現する模様としてよく用いられます。

漢陽寺 地蔵遊化の庭

砂紋の起源は恐らく、京都御所。儀式などが執り行われた紫宸殿(ししんでん)の前に広がる白砂の庭が常に掃き清められ、ほうきの跡が一定方向につく様を見て、その美しさを庭園に持ち込んだと考えられています。

砂紋の溝の深さは一般的に、10㎝前後。白い砂の上において波の模様がきれいに浮かび上がるのは、光が当たって白く輝く砂と、この砂紋の溝に生まれる影の黒があってのこと。例えば、昭和を代表する作庭家で、私の祖父でもある重森三玲(1896-1975)が手がけた山口県・漢陽寺「地蔵遊化の庭」。石で表された地蔵菩薩と子供たちの足元には、中心から外側に向かって幾重にも波紋が描かれていますが、これも光の隣に影があるからこそくっきりと見えるのです。ちなみに、この光と影の効果を保つため、砂紋は1ヶ月程度でその寺の僧侶などによって書き直されるのが一般的。面を常に美しく丁寧に仕上げることで、くっきりと砂紋を見せます。枯山水は、実に手間のかかる庭です。しかし、その精神性は非常に日本的であるとも考えられます。

さらに、枯山水にもよく用いられ、三玲の庭の特徴の一つでもある「石組み」にも、日本伝統の光と影の仕掛けが引き継がれています。例えば、徳島県の「阿波国分寺庭園」。古代から近現代に至る日本庭園を数多く実測調査し、庭園研究家としての顔も持つ三玲でしたが、この桃山時代に作られた古い庭を訪れたときには、大きな衝撃を受けたといいます。そこには凄まじい数の大小さまざまな石が立ち並び、圧倒的な力を感じさせます。

阿波国分寺庭園

この迫力を生む上で最も大きな役割を果たすのが、実は「前垂れ」です。これは、石を横から見ると、垂直ではなく、前面、つまり見る人の側に向かって傾斜するように立てるというもの。こうすることで、石がより立体的に見えるとともに、どこから光が当たっても前面が常に影になるため、光あふれる庭の中でしっかりとそのシルエットを浮かび上がらせることができます。結果、石組みが力強さを増すのです。この庭の影響もあり、モダンと言われる三玲の庭にも「前垂れ」の技が非常に多く用いられるようになっていきました。

前垂れ

 日本の庭における光と影の関係は、現在にも連綿と受け継がれ、大きくは変わっていません。一方で、新たな試みも始まっています。その一つがライトアップによる夜間観賞。

月の光とは違う、かつては見ることのなかった夜の庭の表情を見たいというニーズの高まりに対応したものです。

フェローホームズ 屋上庭園

例えば、私の作った東京・立川にあるフェローホームズの屋上庭園。庭の作り自体は伝統的なものですが、光源の置き位置に工夫があります。足下から照明を砂紋に当てることで凹凸を際立たせ、光と影の対比をよりドラマチッックに。前垂れの石の迫力も演出しています。昼間には決して見ることのできない夜の庭の姿が、そこに生まれるのです。